今後も懇親会は必要か 「必要」という結論
いよいよコロナに対する各種規制も終盤を迎えた。
そこで私もこの春くらいから懇親会に出るようになったのだが、そこで感じたことは、直接顔を合わせながら会談するということ抜きで社会はとても回らないということだった。
また堅苦しい関係ではない業界団体(司法書士会など)の懇親会は特に痛快であるということも改めて実感した。
普段はちょっと話しにくい年配の方もお互いにアルコールを入れて話しかければ笑顔で応じて下さる。何年も会って無くても一気に距離が縮まる。
ちょっと気まずい関係だった人とも一瞬で打ち解け会える。
業界の裏話や昔話も聞ける。
これからも積極的に参加していきたいと思う。
業界自体は決して明るくはない。
しかし気持ちは明るく希望を持って生きたいものである。
トラックボールは今後も普及しないだろう
私は、例によってステイホームのコロナ禍で首や肩を痛めた。
そこでトラックボールが体に良いと聞いて何種類(親指用、人差し指用)か試してみた。それなりに出費もした。
今も使ったり、使わなかったりではあるのだが、トラックボールのレビューを見てみると、買う人のうち、かなりの割合の人が
「体を痛めたから」
という理由でトラックボールを購入している。
ここが普及しない1番の原因だと思う。
確かにマウスは体に悪い。
マウスは右肩だけ前に出やすく、巻き肩を誘発するためである。
しかし平均的な使い方しかしない人間にとってマウスほど使いやすいデバイスは無く、多くの人が自分の体を痛めるまでマウスで貫き通してしまう。
しかし体に故障が出てきてからトラックボールに変えても元々首や肩は完治しにくい箇所なので痛めたままトラックボールを使うことになる。
これではカーソルが定まらず、使いにくい。痛めた箇所が完全に治癒してくれれば良いのだが、首や肩は一度痛めると治癒が難しい。
私の場合も右肩や首が痛く、指も痛める以前の状態には戻らない。
この状態でトラックボールを使っても決して使いやすくはない。
また、ソフトウェア側がトラックボールでの操作を前提としていないため、おそらく体に故障を抱えていなくてもトラックボールでは苦痛を感じるではと推測できる場面も多い。
そんな私はトラックボールを使いつつマウスも併用している。
トラックボール派の人は「なぜ普及しないのか?」と全く理由がわからないようだが、首肩指が健康だとわからないのかもしれない。
それでもマウスを使い続けるよりは胸や肩が開き、健康には良いので1台は置いておくと良いと思う。
多少値が張るが、ケンジントンというメーカーの人差し指や手のひらで転がせるタイプのものが一番長く使えている。
行動力を上げるにはほめ日記?マインドフルネス?
以前の所長コラムで「自分で自分を褒めることは大切」といったことを書いた。
あるお坊さんで「自分で自分を褒めることができるかどうかが全て」とまで言ってる人もいる。
私も自分で自分を心のなかで褒めることができない人間で、所謂自尊心が低いと感じている。
一神教の根付いていない日本人はどうしても自尊心が低くなりがちだ。
自尊心が低いと自分で自分を責める思考が出来上がってくるため、様々な方面で悪影響が出てくる。1番が行動力が落ちることで、致命傷となりやすい。これを克服するべく苦しんでいる人はとても多いと思う。
私もこれを克服すべく色々と試し、今も試し続けている。
最近取り組んだのは
②マインドフルネス(思考や行動のシングルタスク化)
で、良い点もたくさんあった。
しかし「行動力を上げる」という意味では直接的な効果は薄いと感じた。
それよりも自尊心が低いことにダイレクトにアプローチする「自分褒め」というのが1番効果が高いようだ。
これに日記を組み合わせる。
元々日記は精神的に良いとされているが、「自分を褒めること」と「日記」を組み合わせることで自尊心を常に高く保つことができるというわけだ。
もちろんこれは私が発明したわけではなく、手塚千砂子さんという方が「ほめ日記」としてたくさんの書籍を出版している。
私は元々日記は付ける方だが、これを「ほめ日記」に変えていっているところだ。
追記 もちろん日記は手書きで。
スポーツはなぜ人を引き付ける?
今回WBCの日本優勝が大変な盛り上がりを見せており、私自身驚いている。
近年野球人気が低迷していると言われており、その中でもWBCはMLBが圧倒的な力を持っているため、あまり盛り上がりを感じたことはなかった。
ところが今回は大谷翔平選手を始め、MLBに所属する選手も多く参加し、最強に近い布陣となった。
今回盛り上がった要因は日本チームに有力選手が揃ったことと、他国チームの方もMLB所属の選手がたくさん参加し、選手たちの真剣度も高かったため、観ている側にとって飽きることがなかった。
1番面白かったのはもちろん準決勝のメキシコ戦で、メキシコチームからナショナリズムを感じられたのも良かったし、実力も日本を上回っていると言っても過言ではなかった。
スポーツが面白いのは「筋書きがない」ということに尽きると思う。
やってみないとわからない。これがシンプルに面白い部分だと思う。
世の中で筋書きが無いものはそう多くない。
メディアが報道するものでニュースやバラエティ番組は筋書きや方向性があるものがほとんどであり、筋書きが無いものは意外なほど少ない。
私はスポーツ観戦が日常の諸問題から目を背ける負の側面があることも理解しつつやはり筋書きが無いドラマという意味でスポーツは必要だと改めて感じた。
2023年 春のセンバツ高校野球開会式 「今ありて」
今年の春の甲子園には従兄弟の子が出場する。
比較的近い親戚が甲子園に出場するというのは初めての経験であり、普段以上に注目している。
そのため、普段は見ない開会式を初めてじっくりと見た(もちろんテレビでだが)。
入場行進では、その子も笑顔で行進していて、微笑ましく見守っていた。
そのまま、見続けていたのだが、例によって年配の方の挨拶はスルー(歳を重ねると言葉は軽く感じるようになる)、私が開会式で思いがけず心を揺さぶられたのは、神戸山手女子高校の生徒が合唱した「今ありて」という曲だ。
この曲について私はもちろんメロディは知っているし、曲名は知らなくても日本のほとんどの人が「あぁ甲子園のメロディだな」とわかると思う。
しかしこの歳になり、初めて最初から最後まで女子高校生が真剣に合唱しているのを聴いて心の底から感動した。SNS上などでも「涙が出る」という投稿がちらほらと見られた。
あの声は高校生にしか出せない、青春真っ只中の一瞬しか出せない声なのだと全身で感じた。
高校野球というものは開催形式やユニフォームの規定を敢えて何十年も変えないことで中高年の人たちを喜ばせる「演出」だというのは頭ではわかっていても、思わず涙してしまう歌声であった。
神戸山手女子高校の皆さん、素晴らしい歌声をありがとう。
外部のブログを作ることにしました
この度、所長コラムと併用してもう少しお手軽なブログを始めることにした。
Web制作会社からは「アクセス数を上げるにはブログはサイト内部に作ったほうが良いですよ」と言われ、自分のサイト内にコラムを投稿し続けてきたが、自分のサイト内でレイアウトをカスタマイズするのに長大な時間を要し、肝心の記事を書きたいと思っても投稿タイミングを逃したりして、上手く活用できていなかった。
また、カスタマイズの自由度が高すぎるというのはかえって不安定なもので、自由度が低いほうが割り切ることが出来、従来の外部ブログ形式に戻すことにした。
このようなブログ形式は15年以上前に流行したスタイルで、今や完全に時代遅れであるのだが、スピーディーで使いやすいことが第一であると考えた。
いくら見栄えがカッコよくても記事を投稿するのに長大な時間と心労を伴うのは御免被りたいというわけだ。
文章も40代に入ったあたりから丁寧すぎる文章遣いが苦手になってきたこともあり、これを期に本来書きたい表現(文語調?)にしていきたいと思う。
このようなことを顧みても完全に中年になったという気がする。
今この文章を書いている時点では、プロフィール画像も氏名も何もない。
体裁は後から少しずつ整えていくことにする。